Tuesday, January 20, 2009

ポポーヤフーグループ

久しぶりです。何に関しても不精なので、ブログは向いていないみたいです。某匿名掲示板のことがあってからさらに面倒臭くなって、更新もしていませんでした。この先もそういう気は余りないですが、ポポーファンの為にちょっとした情報を。

以前にヤフーグループを始めたのですが、ちらしを50枚もポポーフェスティバルで配ったというか置いたのに、誰も参加せずに、放置されていたことがありました。カークや彼の助手達にも参加を頼んだのですが、まあこういったことは彼らは余り乗り気ではありません。それから一年以上たって、カークの方からこのヤフーグループのことを聞かれて、再開しようということになったので。アドレスのほうはこちらです:http://groups.yahoo.com/group/Pawpaw_Discussion/
こんな誰も見ていないところで紹介しても意味がないとは思うのですが、一応念のため。

Sunday, September 21, 2008

臭きもの

スカンクといえば、臭いものの代名詞のような扱いですが、その臭いを嗅いだことのある人は日本では余りいないのではないでしょうか?まだオクラホマにいるころだったと思います。よく覚えていないのですが、ウォルマートがどこかの帰りで、ルームメイトか誰だかの車のなかでその臭いが立ち込めたことがありました。ゴムを焼いたような、コーヒの匂いのする消しゴムをもっと臭くしたような臭い。どうやら、スカンクが車に撥ねられたようで、そのために、周囲に臭いが立ち込んでいたようです。それが私のスカンク初体験でした。

貧乏臭い話ですが、ごく最近まで車がなかったので、スカンク経験も極く稀でした。ただ、いま住んでいる辺りは、スカンクが多いような気がします。大学でも夜間時々、見掛けますし、自宅の近くでも、変わった毛並の猫だなと思って近付くとスカンクがくるりと廻って威嚇したこともありました。車の中で、スカンクの臭いを嗅ぐことも多々あります。まあこういうことは慣れてしまうと別に大したことはないので。

その"慣れ"、についてですが、どうやら某匿名掲示板には慣れることがなかったようです。コテハンを持つ気はさらさら無かったのに、"誰か"(匿名掲示板のなせる技ですw)に薦められて使いだすと、ウザイのこと。始めは、アンカーも使っていたのですが、他の人がさん付けで質問してたので、それに習い出したのですが、"誰か"から"あとアンカ覚えようぜ"、との指摘を頂きました。揚げ句の果てに、書き込んだ内容は、ブログの方が向いているのではないか、という指摘もありましたが、当方無学なもので、どちらさまのブログに書き込めば良いのかもわからない有り様です。愚痴を言っても始まらないし、"どうにでもなあれ!"というわけで、臭いものには蓋、ではないですが、以後、余程のことがないかぎり、某匿名掲示板に書き込むことはないと思います。村上春樹ではないですが、やれやれ。

Friday, September 19, 2008

'PA Golden'の果実の大きさ


'PA Golden'を実験用を多量に収穫したのですが、割と果実の大きさにバラつきがあるようです。これはクラスターにどれだけ果実があるかにも関係しているようですが、右端の大きさのものは珍しい方でしょう。左端の10cmくらいのものが大半数です。'PA Golden'の果実は他の品種のと比べて水気が多いみたいで、これを嫌う人もいて、余り人気がないようです。

Thursday, September 18, 2008

オーデュボンのポポープリント


葬式から帰ってきましたが、全くやる気のないけんたきです。サウス・カロライナまでバスで日帰りという無茶な旅行でした。アメリカ人はやはりタフです。

以前にオーデュボンのプリントについて書いたことがありましたが、そのうちの二枚にはポポーが描かれています。板番号#2のYellow-billed cuckooともうひとつは今手元にないのですが、以前のエントリーにある、初版の八切り版のものを$40で落札した奴です。はっきりいって捨て板ですが、コレクターにとっては、腐ってもオーデュボンとでもいいましょうか、まあそれなりに価値のあるものです。

板番号#2のほうは初版の八切り版を一枚、アムステル版を二枚所有しています。アムステル版というのは1971に発行されたオフセット、いわば公式のレプリカなんですが、ものによっては、それなりの値段がつきます。eBayではこのポポー/郭公のプリントは大体$300前後で落ちています。成金の好事家でなくても、割合に廉価ですので、お勧めできるとおもいます。初版の八切り版のほうはもう少ししますが、是非オリジナルを、という方はそちらのほうを。

Tuesday, September 16, 2008

8-20


久しぶりです。弱小ブログの運命というか、誰の目にも付くというわけもなく、単に消えてしまいました。不精というより、日本語で何かを書くというのがかなりの苦痛なので更新をしなかった、というのが事実ですが。気が向いた時に、また少しずつ書き込んでみたいと思います。

余り素性がばれるようなことは書きたくないのですが、某大学でポポーの研究に携わっています。結論を先に言えば、ポポーについてはそれほどの思い込みはありません。基本的に、他人のプロジェクトだし。ただ、某掲示板でポポーのことを知りたい人が多くいるのに気づき、それなりに役に立てればと思って、ブログを更新することにしました。基本的にヘタリなので、余りプレッシャーはかけないでくださいねw ポポーのシーズンは短いので、また尻切れ蜻蛉になる可能性が高いのですが。

今日紹介するポポーは8ー20。Sunflowerの実生で、食味も似ているとか。ちょっと葬式に出掛けなくちゃいけないので、まだ味見はしていません。実際、ブログを更新している場合じゃないw 味はともかく、かなり大きいでしょう?今年はSunflowerの出来が余り良くないということで、これを実験に代用するつもりです。

Thursday, January 17, 2008

カーティス・ボタニカルマガジン II


ウイリアム・カーティスは「カーティス・ボタニカルマガジン」以前に「ロンドン植物誌」(Curtis Flora Londinensis)というのを出版しました。文字通りに、ロンドンと近郊の植物が原寸大で描かれており、貴重なものですが、どうも商業的には成功したと言えなかったようです。そののちの1787 二月に発行されたのがカーティス・ボタニカルマガジン。発刊の目的は「ロンドン植物誌」と違い、他国の植物を紹介することでした。その後一時中断したり、雑誌名が変わったことがありますが、2008年の現在も刊行されています。


「カーティス・ボタニカルマガジン」は四期に区切られています。詳しくいえば、7期でしょうが、最近の物は収集の的にならないようです。二期までのものはUSDAのコレクションで検索できます。最初期の発行者はウイリアム・カーティスで(1787ー1800)、彼に代わり刊行を受け継いだのはジョン・シムスです(1800ー1826)。ジョン・シムスののちは、ウイリアム・ジャクソン・フッカー (1827-1865) 、ジョセフ・ダルトン・フッカー(1865-1904)の父子によって刊行されました。


一、二期の代表的な画家はシデナム・エドワードでしょう。1787年~1815年間で、ボタニカルマガジンに1700以上の原画を提供したといわれています。ボタニカルマガジン以外では、PantologiaやRees's Cyclopaediaでも彼の作品を見ることができます。1815年にジョン・シムスと画料を巡るいざこざで袂を分かち、ライバル誌のThe Botanical Registerを起刊。1819年に死去するまで、原画を提供しています。ちなみに、三期、四期を代表するウォルター・フッド・フィッチも原画の報酬が原因で、ボタニカルマガジン/キューガーデンと関係を絶っています。


ここで紹介するのはムスカリのプリントです。ムスカリというと普通は青紫か、白色系のものですが、図に見られるように、黄色いものもあります。この微妙な、暖色と寒色のハーモーニーが気にいっています。灰緑の葉も良いと思います。

荒俣宏なんかこわくない

日本では博物学研究の第一人者のようによく言われていますが、個人的には、彼の作品もしくは言動に少し馴染めない、というより違和感を感じます。古書の好きな人は澁澤龍彦の数々の著書に親しんだ人も多くいると思いますが、同時に両氏のファンというのは余り多くないのではないでしょうか? どちらも基本的には蘊蓄を並べているのですが、荒俣氏の言質は澁澤氏に比べて、信憑性がやや低いような気がします。確かに、この方のエピソード読んで、すごいな、とは思うのですが、ところどころで、ぼろが出たのを目の当たりにしたことがありました。

朝日新聞の「どらく編集委員通信」というコーナーがあります。かの荒俣氏のコラムもここで読めるのですが、千輪菊について書いたのがありました。まあ内容は、辺り触りのないもので、特記する必要のないものだと思いましたが、こんなことが書いてありました。

「大作り花壇は、伝統的な上屋に飾られていた。野外の花壇ではなく、鉢植えが室内に置かれている。見物客が野外にいて、菊は屋根の下だ。こういう花の見せかたは、日本だけではないだろうか。私はただただ感心しながら、大作りの菊を見てまわった。」

花の王国という荒俣氏の著作がシリーズで平凡社から出ていますが、失礼ながら、彼は余り園芸について詳しくないらしい。イギリスに行ったことはないのですが、かの有名なチェルシーフラワーショーでは "見物客が野外にいて"、"鉢植えが室内に置かれている""見せかたは"、そんなに珍しいものではないと思います。

あと、彼のブログで、オーデュボン の版画についてこんなことも書いてありました。

「この前のテレビ収録のとき、たまたま、アメリカの田舎のオークションで落札したオーデュボン『アメリカの鳥』バラ物が、20kgもあるでっかい木箱にはいって到着した。航空便なので運賃と関税だけでもすごい金額になってしまいます。そのときちょうど、自宅で撮影やってたので、この鳥図鑑は特別出演となりました。でも、日本の人にはオーデュボンといってもなじみがないと思うけど。

オーデュボンは19世紀アメリカの「立志伝」中の人物です。なんと、北アメリカ産の鳥をぜんぶ実物大に描いた図鑑を刊行しようと夢見た人だ。でも、もともとフランス人だからアメリカに基盤がなかった。でも、奥さんの献身的な協力で夢の実現にまい進した。ヨーロッパのお金持ちのナチュラリストから予約をとるためにパリに乗り込み、デイビー・クロッケットみたいなカウボーイスタイルで講演してまわったそうだ。たくましくて野生的なので、サロンの花形になったらしい。でも、せっかく描きためた原画がネズミにかじられてしまう不運に見舞われた。オーデュボンはあきらめず、また原画を書き直して図鑑を完成させたという。

ペリーが江戸へやってきたとき、お土産に持ってきたアメリカ文明の記念品のひとつにも、この図鑑がふくまれていた。そのせいかどうかわからないが、明治時代にいちはやく出た文部省の教育錦絵の「西国立志伝」編には、なんと、オーデュボンも出てくる! ネズミにかじられた原画を発見して嘆いている場面だ。すごいものである。昔は博物学者は尊敬されたんだ。

じつは、某大学のために古今の有名な図鑑を集める大仕事の真っ最中なのだ。代表的な博物図鑑を全部そろえて目玉資料とする予定なのだが、とはいえ、まるまる完全そろいを収集すると、オーデュボンだけでもオークション価格で軽く10億円になってしまう。でも、世界で一番高価なこの図鑑をいれないと資料集成にならないので、こっちも意地にかけて入手しようとがんばった。そしてこのたび、オーデュボン実物のバラ物を二点、競り落とすことに成功したわけです。

しかし、こういう人気作品を安く落とすのは至難中の至難だった。だいいち、アメリカではオーデュボンというと本物を客間に飾ることが一家のステータスになってるほど、国民に愛されてる図鑑なのだ。おまけにバラでも一枚数十万円から一千万円もする。落札することすら命がけの仕事だったが、運よく、落ちた!」

少し引用が長くなりましたが、蘊蓄にまみれまくったかなり癖のある文章です。「もともとフランス人」とありますが、西インド諸島出身で、出自は父がフランス人で母はスペイン系混血人だったそうです。母と4才のとき死別したために、父といっしょに、フランスに渡り、その後18の時にアメリカに渡りました。"北アメリカ産の鳥をぜんぶ実物大に描いた図鑑を刊行しようと夢見" 始めたのは、35才のときですから、アメリカに基盤が全くなかったはずはないし、反対に、フランスにあったとも言えないのではないでしょうか。

それに、「おまけにバラでも一枚数十万円から一千万円もする。落札することすら命がけの仕事だったが、運よく、落ちた!」とありますが、これはいわゆるHavell Double Elephant Folio版のものであって、それ以外のエディションはそこまで高くありません。例えば、初版の八切り版のものを$40で落札したことがありますし、最近の物になりますが、アムステルダム版のものならばオリジナルのものと同サイズのものが$50以下で落札できたりします。アムステルダム版というのは早い話がオフセットの複製品のような物ですが。こうしてみると、某大学のためとは言え、好きで集めているというより、成金の骨董趣味が文章から滲んでくるような気がするのですが、これは、単に自分の性格が悪いからでしょうか? 

「落札することすら命がけの仕事だったが」というのも解せません。アメリカの田舎のオークションで落札することのどこが命がけなのでしょうか? しつこく言わせてもらうと、「でも、日本の人にはオーデュボンといってもなじみがないと思うけど。」というのもさりげなく嫌みです。個人的には、荒俣宏崇拝者というのが理解ができません。結論というほどのものではないのですが、荒俣宏なんか恐くない。顔はある意味で恐いな、とおもうけど。